パティスリー・レミエの歴史は古い。
最初、町の小さな菓子屋としてスタートしたこの店は、20年ほど前
3代目店主のジャンガタール・レミエが領主のパーティに献上した
茶菓子をきっかけにヴェルダの王室御用達に任命され、
今や近辺諸国に知らない人はいないほどの著名なパティスリーとして名を馳せていた。
エルタの町で『レミエ』の名で店を構えるオードロイ・バキシムは、
ジャンガタール・レミエの直弟子の一人であり、年若くして独立を認められ、
さらに店名に『レミエ』を冠することを許されたほどの腕前を持つ職人だったが、
同時に彼は変わり者としても知られていた。
その彼が何を思ったのか突然エルタの店を一時的に閉め、巨額を投じて
『遺跡の島』に建設した豪奢な建物、それが『パティスリー・レミエ 宝玉の島店』である。
最初はもの珍しさでその扉をくぐる冒険者も幾人かいたようだったが、
その本店並みの無駄な格調高さ…豪華な調度品、必要以上に慇懃な物腰の
従業員の接客、そして徹底的に素材と製法にこだわり抜いたゆえの商品の
あまりの値段の高さにおじけづき、一人、また一人と客足は遠のいていった。
しかし、冒険者たちの中には各国の貴族やお忍びで来島した王族、
大きな商家の三男坊などの富裕層がそれなりに混じっており、
それらの中には少なからず本店レミエの常連もいたため、予想されたほどの
壊滅的な赤字は辛うじてどうにか計上せずにすんでいた。
…また来たのか。
『パティスリー・レミエ 宝玉の島店』の店仕(コンセイエ)、
ダリム・アルマダは窓の外に目をやり、それとはわからない程度に表情を曇らせた。
店の外、ショーウィンドウの向こうから、奇妙な汚らしい身なりをした男が
じっと商品を見つめている。
昨日も彼はここに訪れ、ズケズケと店内に入ってきて、こちらが声をかけるよりも早く
急にきびすを返したかと思うと、『ありえねェ…』などと呟きながら店の外に出ていった。
その際、彼の後ろポケットからクシャクシャになった雑誌の切り抜きが一枚滑り落ちた。
曰く、『ホワイトデー特集・貴族のご令嬢達に聞きました…今、一番食べたいスイーツ!』…
おそらくは彼の懐の中身はうちの商品を贖うのに不足だったのだろう。
この島の冒険者によくあることだ。
特に、ここ数日は、お菓子を贈りあうイベントデーということで、いつもより
多数の冒険者たちがここを訪れていたが、その大半が商品の値札を見るや
一様に顔を青ざめさせ、さらに、遺跡内で手に入る通貨『PS』がこの店では
使えないと知ると、突然その場で飛び跳ね、脱兎のごとく入り口から
逃げるように駆け出していったものまでいた。
…冒険者を相手にするにはこの値段は高すぎる。
もう少し廉価なものを販売するか、さもなくばここから撤退すべきだ。
何度も彼は店主のオードロイに談判してきたが、オードロイの答えは決まって
ただ首を横にふるのみだった。
これでは…時間の問題だ。
ダリムとオーギュロイの付き合いは、オーギュロイの本店での
修行時代からに及ぶ。ダリムはそのとき本店の丁稚をしており、
オーギュロイの独立のさい、彼に引き抜かれてエルタの店の開店を手伝った。
そんな長い付き合いでも、ときたまこの変わり者の店主の考えは
理解できないときがある。
リン、と小さく鳴ったドアベルにハッと顔を上げると、先ほどの男が
店の中に入ってくるところだった。
小汚い、スラムの連中がよく着るようなオーバーサイズの
奇妙なデザインの服は昨日よりもさらに薄汚れ、
遺跡の探検をしてきたすぐあとなのだろうか、服のほつれた部分には
少し血がにじんでいるようであった。
「お客様…」
体よく追い返そうと、カウンターから出て歩み寄ってくるダリムを、男の目が射すくめた。
今から決死の戦場に赴くかのような、妙な凄みのある目つきだった。
「男には」
ダリオの前に立ち、男は自分に言い聞かせるように一方的にまくしたてはじめた。
「男には全てを捨てる『覚悟』が必要なときがある、そうだな?」
「…は、はぁ…」
「『覚悟』とは…『覚悟』とは犠牲の心ではないッ! …そのキャンディの入った詰め合わせを、くれ」
キョトンとしているダリオを気にも留めず、男の指がすうっと上がり
ショーケースの中の、キャンディの詰め合わせを差した。
「お客様、もしでしたらこちらの…」
もっと安い焼き菓子の詰め合わせを勧めようとするダリオに、首をふって
「『キャンディ』がいいんだ、『そのキャンディ』が」
そう答えると、懐からジャラリ、と音をたてて小さな袋を取り出し、ダリオに手渡した。
袋の中身は全て『黒い宝石』と『青い宝石』だった。
「『PS』は使えなくても、それなら向こうの金に換えれるだろ」
男の目には少し涙がにじんでいるように見えたが、ダリオは
もうそれ以上何も言わず、キャンディ詰め合わせを梱包して彼に手渡した。
彼はほんの少しの間包みを見つめていたが、やがて小さく
「ありがとう」
とつぶやき、静かに店のドアをくぐって行った。
長く激しい絶叫が店の前から向こうの通りのほうへ駆け抜けていったのは
その直後のことだった。
黙って彼の去っていった方向を見つめるダリオのかたわらに、
いつしかオーギュロイが立っていた。
「あのキャンディは…ダリオ、覚えているかい?」
「…ええ、エルタに店を開いて一番最初に売り出した商品ですね?」
ダリオがうなずくと、オーギュロイはニッコリと微笑んだ。
「それだけではない。3代目…私の師匠のジャンガタール・レミエが
領主と王に最初に献上したのもこれと全く同じレシピで作ったキャンディだったのだよ」
その包み紙に書かれている商品名は『ヴェルダ特製品(ヴェルダズ・オリジナル)』。
「特別な人に特別なときに手にしてもらえる…
私の作る菓子がそのようであるなら、それはどんなにすばらしいことだろう」
しみじみと呟くオーギュロイの言葉を聞きながら、ダリオは窓の外に目を向けた。
大空に一つの包みが打ち上がり、遺跡のどこかをめがけて飛び去っていった。
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